信州高遠藩(現 伊那市高遠町) は、1722年(享保7年)より将軍家への暑中のご機嫌伺いの品として「寒晒蕎麦一箱」を献上したと伝わる「寒ざらしそば」発祥の地。
厳寒の清流に浸され、寒風にさらされた蕎麦は、アクが抜け、甘みが増し、軽やかな味わいなのが特長で、高遠の厳しい冬の気候が生み出す特産品でした。また、色が白く細くてコシのある寒晒蕎麦は「比類なき最上級品」とされ、大名家のあいだの贈答品としても人気だったといわれています。
高遠町では昭和30年代以降、時代のながれのなかで製造が途切れましたが、2001年に有志により復活。当時の製法を忠実に再現し2014年からは一部店舗にて提供が開始されました。
現在では、夏の土用(7月中旬から8月上旬)の期間限定で、伝統の味を楽しむことができます。
発祥は高遠藩 将軍家が愛した逸品
江戸時代、各藩は将軍家に対し、季節毎にご機嫌伺いの品を献上していましたが、高遠藩では1722年から「ご機嫌伺いとして寒晒蕎麦一箱を献上することになった」と高遠藩内藤家に残る資料に記載されています。
以降幕末まで「暑中信州寒晒蕎麦」として献上が続けられ、のちの1789年からは高島藩(現 茅野市)でも「暑中寒曝蕎麦」として将軍家に献上されたといいます。
この寒晒蕎麦は、遅くとも江戸時代初期以前には存在していたと考えられており、『本朝食鑑(1697年)』によると、一年の中で最も気温が低くなる期間である小寒(寒の入り)から、立春(寒の明け) までの30日にあたる寒中に、ソバを水に浸すことが極意とされ、その後、寒風に晒し乾かしてから蔵で暑中まで保存していた旨の記述が残っています。
伝統的に寒晒蕎麦が作られていた伊那市高遠町と茅野市では「寒そば」と呼ばれ、ソバを清流に浸すことで、穀中の害虫の卵を駆除し、春以降の貯蔵中に虫食いによる品質が低下することを防ぐ目的で製造されていたことが伝えられています。
高遠の冬の気候が生み出した特産物
寒晒蕎麦の特徴として「アクが抜ける」「甘味が増す」「食感が変化する」「風味が増す」と一般的に言われています。清流に浸す際にアクが抜け、乾燥工程の間に甘味や風味が増し、食感も変化します。その特徴を最大限に引き出すためには「極寒の清流に30日浸すこと」と「水を含んで膨らんだソバを長時間かけて自然乾燥させること」が重要になります。つまり、良質な寒晒蕎麦を作るためには、長時間水分を含んだ状態であっても、ソバに腐敗や発芽、カビの発生が起こらない自然環境を有する地域であることが必須になります。
暑中信州寒晒蕎麦は、朝夕はマイナス10度を下回る極寒、かつ昼間は晴天率が高く空気が乾燥した、高遠の冬の気候が生み出した特産物と言えます。
将軍様が召し上がった最上級品の寒晒蕎麦
寒晒蕎麦が献上されていた江戸では、アクっぽくないさわやかな風味のそばが上質とされていました。また江戸時代の書籍『蕎麦全書』によると、新そばを食べるとアクにあたっておなかを壊す人がいたことも述べられています。
このように当時の江戸では、そばの「アク」を抜くことが求められ、そのために考えだされたのが、製粉の際に外殻や甘皮の大部分を取除く「あくぬき」製粉です。
殻がついたままのソバの実「玄そば」を水に浸し、アクを抜いた寒晒蕎麦から「あくぬき」製粉で更にアクを取除いた蕎麦は「比類なき最上級品」とされ、大名間の贈答品として使用された記録も残っています。徳川歴代将軍も「あくぬき」製粉で作られた寒晒蕎麦を食したと想像されます。
伝統製法を忠実に再現
昭和30年台以降、製造は途絶えていましたが、有志により2001年に復活させ、2014年から高遠そば組合に加盟する一部の店舗で「夏の土用の期間限定販売」を開始しました。
高遠そば組合では、毎年小寒に日に合わせて、玄そばを30日間極寒の清流に浸します。立春に引き上げ、約1か月間、極寒かつ晴天率が高い自然環境のなかで、天地返しを繰り返しながら乾燥させ、低温倉庫で保管します。そして夏の土用(7月中旬から8月上旬) 直前に加工施設で外殻を取り除き、歩留まりを抑えた「あくぬき製粉」で製粉され、手打ちそばで販売が行われます。
伝統の製法を忠実に再現し、丹精込めて作る「暑中信州寒晒蕎麦」をぜひご賞味ください。










