歴史・文化01.寺社など

0930仲仙寺 はびろ道 丁石の道

はびろ道 四十丁石

2016.9.30

今日は秋晴れ。“おもてなし”環境美化運動が市内各地で行われました。
はびろ道の丁石周辺の草刈りなども行われ、一里塚旧跡・茶屋掛の四十丁目の観音様もさっぱりして
行楽シーズンのお客様を迎える準備をしました。

公開日2016/09/30
伊那市観光協会

歴史・文化

 

伊那エリア

高遠エリア

長谷エリア

古の街道

歴史パンフレット

歴史散歩 <><>
秋葉街道 <><>
公開日2016/02/18
伊那市観光協会

歴史・文化(長谷エリア)

長谷エリア

 伝統芸能・祭り 
中尾歌舞伎
36-250x166 江戸時代、この地に旅芸人が来て上中尾の神様を祀ってある神社の前宮で演じたのが起源といわれている「中尾歌舞伎」。以来、地域の山の神祭りに合わせこの歌舞伎が演じられ、いつの日かこの地の伝統芸能として芽生え、いまに受け継がれるようになりました。毎年4月29日と秋に定期公演を行っています。

伊那市高遠長谷教育振興課 ☎0265-98-2009

史跡・名所
〔国重要文化財〕熱田神社(あつたじんじゃ)
伊那市長谷溝口
  日本武尊が東征の帰途この地に立ち寄り、村人を悩ませていた大蛇を退治したとの伝説があった。後の世の人々がその恩沢を慕い、尾張の熱田神宮の形影をお迎えし産土神として祀ったのが熱田神社である。現在の本殿は宝暦13年(1763)に再建されたもので、規模は小さいながら特殊な建築技法と精巧かつダイナミックな彫刻から「伊那日光」と呼ばれ親しまれている。

伊那市高遠長谷教育振興課 ☎0265-98-2009

検校塚(けんぎょうづか)
伊那市長谷非持

平安時代のこと、一条天皇秘蔵の鷹が獲物をまったく獲らず、どんな優秀な鷹飼も飼いあぐねていた。これを優秀抜群に飼いならした依田豊平は、その褒美として信濃国非持の里を与えられ、その地を治める検校となった。伝承では「検校豊平」は善政を行い、村人に敬愛されたと伝えられる。墓所である検校塚には明治15年に区民の手により頌徳碑が建立された。

宗良親王の遺跡(むねよし(むねなが)しんのう いせき)
伊那市長谷溝口
 南北朝時代、後醍醐天皇の第8皇子「宗良親王」は信濃宮と呼ばれ、信濃大河原を拠点に南朝復興を目指し転戦したと記録されている。明治中期、
御山の裾から無縫塔が発見され、昭和6年郷土史家の調査により十六弁菊花の紋章と「尊澄法親王」の文字が刻まれていることが判明した。以後、この塔を御山に安置し宗良親王の遺跡として毎年供養が営まれている。
八人塚(はちにんづか)
伊那市長谷黒河内
 戦国時代、伊那地方は武田信玄の軍門に降っていた。弘治2年(1556)、信玄が川中島で上杉謙信と対陣している間に、伊那の八豪族は信玄と婚姻関係にあった木曽氏を攻撃した。それを知った信玄は大いに怒り、八人の武将を捕らえ伊那狐島で処刑した(蓮台場G-5)。黒河内の人々はひそかに8人の首を持ち帰りこの地に葬った。
市野瀬古城址(いちのせこじょうし)(城山)
伊那市長谷市野瀬
 頂上には樹齢500年以上の堂々とした松が群立しており、みごとな枝ぶりは見るものを圧倒する。城山は展望が良く、室町時代には熊野城の、そして戦国時代には一ノ瀬城の物見台として使われていた。斜面一帯にツツジが植えられ、満開時には山が燃えているかのような花を咲かせる。
宇津木薬師堂(うつぎやくしどう)
伊那市長谷杉島
  戸倉山にまつられていた薬師如来が、東南の方角にあるサワラの木に飛び移ったという言い伝えがあり、その木を「移り木」と呼んだことから、宇津木という地名になったといわれている。この薬師堂は宝暦4年に新築され、建築の様式・彫り物・造作等すぐれた芸術作品で、中でも十蔵薬師は伊那諏訪地方の三薬師のひとつとうたわれ、縁結びの利益があるとして信仰を集めた。
小松氏先祖の墓
 壇ノ浦の戦いに敗れた平家の子孫の墓と言われている。
 博物館・美術館・資料館 
孝行猿資料館
伊那市長谷市野瀬
鉄砲で撃たれて死んだ母猿を蘇生させようと、囲炉裏で手をあぶって必死に母の体を温める子猿たち・・・。この話は、寛延2年(1749)に編纂された新著聞集に入野谷郷(長谷)の話として紹介され、戦前には修身の教本に掲載されたため、全国で知られる民話となった。資料館では民話を再現し、親を思う子猿のけなげな姿を伝えている。
問:資料館(気の里入野谷内)0265-98-1030
戸台の化石資料室
伊那市長谷溝口
 戸台の化石サンカクガイやアンモナイトなどの化石が産出する戸台層は、中生代白亜紀(約1億2千万年前)の比較的浅い海底で堆積した地層が、長い間の地殻変動で隆起したものと考えられている。長谷公民館内にある化石資料室には、学習会で採取された化石が整理・保存されているほか、代表的な化石が展示されている。
☎0265-98-2009
公開日2016/02/17・更新日2016/02/23
伊那市観光協会

歴史・文化(高遠エリア)

高遠エリア

 伝統芸能・祭り 
燈籠祭(とうろう まつり)
伊那市高遠町西高遠
高遠町鉾持神社の例祭「燈籠祭」は豊作と無病息災を感謝して行われる。稲穂に見立てた赤いほおずき提灯が商店街に飾られ、その中を高遠ばやしが練り歩く様は、静かな秋の夜長に風情をかもしだす。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹
または伊那市高遠町総合支所 ☎0265-94-2556

だるま市
伊那市高遠町西高遠
約400年続くといわれる五穀豊穣を祈る祭りで、鉾持神社の祈年祭に合わせて旧暦正月14日(現在は2月11日(祝)に行われている。参道には縁起物の「福だるま」の露店が並び、大勢の人々で賑わう。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹
または伊那市高遠町総合支所 ☎0265-94-2556

高遠ばやし
古くから高遠に伝わる郷土芸能高遠ばやしの巡行
史跡・名所
高遠城跡・高遠城址公園
伊那市高遠町東高遠
日本百名城にも選ばれた国指定史跡で、南北朝時代の高遠氏に始まり、武田氏、毛利氏、京極氏、保科氏、鳥居氏、内藤氏と城主が変遷。城の現形は武田氏に仕えた山本勘助が縄張りをしたと伝えられる。現在は城址公園となっている。 「天下第一の桜」桜の日本三大名所として名高い。長野県天然記念物にも指定されているタカトオコヒガンザクラの樹林は130年余の老樹から若木まで約1500本。桜の花はやや小ぶりだが色が濃く、満開時は桃色の雲の中にいる気分になる。桜の時期はもちろん、夏は緑が美しく秋には紅葉の名所となる。高遠閣、無字の碑、新城藤原神社など見どころも多い。春はさくら祭り、秋には紅葉を愛でる秋まつりが行なわれる。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

進徳館(しんとくかん)
伊那市高遠町東高遠
時の城主内藤頼直により開校(1860)、明治4年(1871)廃校となった。進徳館からは近代日本を動かした多くの人材を生んだ。伊沢修二はじめ教育界で活躍した人が多い。

藩校進徳館は藩主内藤頼直が万延元年に設立した。明治4年の廃藩置県により十数年で廃校となりましたが、多くの政治家、教育家等を輩出し「高遠の学」は後世に伝えられてきました。

進徳館当時財政困難の続いた高遠藩では、他の大藩のように藩校を持てず向学心に燃える武士は、儒官や武術師範の家に通って勉強した。
万延元年(1860)最後の高遠藩主内藤頼直は、先代からの願いであった藩校にかわるものとして、城内の三の丸の空き家を改造して三の丸学問所を開設後、進徳館と 名付けた。
文学部、武学部の二部からなり、さらに幼年・中年の部に分かれて大いに勉学にいそしんだ。
明治4年廃藩となり5年城郭が取りこわされ、その時代の進徳館の建物も一部取り払われたが、書籍、器具などは残された。
国指定史跡高遠城跡唯一の建造物である。

問:高遠長谷教育振興課 ☎0265-94-2551㈹
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伊澤修二生家(いさわしゅうじせいけ)
伊那市高遠町東高遠
我が国の音楽教育の基礎を作り、東京師範学校長、東京盲唖学校長、東京音楽学校長(現在の東京芸術大学)などを歴任した伊澤修二の生家。高遠に唯一残る下級武士住宅である。伊那市では、毎年秋に伊澤修二先生記念音楽祭を開催している。

問:高遠長谷教育振興課 ☎0265-94-2551㈹
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建福寺(けんぷくじ)
伊那市高遠町西高遠
慶長年間に創建。天正7年に京都妙心寺末寺となり中興されました。武田、保科家の菩提寺で、武田勝頼の母(湖衣姫)の墓もあります。重要文化財狩野興以 の画を始め、多くの寺宝を持っています。本堂の石段の両側から境内にかけて、四十五体の石仏があります。江戸時代の高遠の石工の代表守屋貞治、渋谷藤兵衛 等によるもので、特に貞治の地蔵座像は傑作のひとつとされています。

武田勝頼の母「こいひめ湖衣姫」の墓と並んで初代城主「ほしな まさなお保科正直」・二代目「ほしな まさみつ保科正光」の墓がある。幕府お抱えの絵師かのう こうい狩野興以の作品「中観音左右竜虎の図」がある。

満光寺(まんこうじ)
伊那市高遠町西高遠
天正元年に京都知恩院の直末寺として開創。火災に見舞われ、元文4年再興の折、堂宇の全てを科の木で築造したので「信濃の科寺」、長野の善光寺を模した ため「伊那の善光寺」とも呼ばれました。庭園にある樹齢数百年の古松は「極楽の松」と呼ばれ、この松をひとめ見ると必ず極楽往生できると言われています。

旧藩主内藤家の菩提寺で一族の墓がある。本尊「阿弥陀如来」はくどう すけつね工藤祐経の子「犬房丸」が伊那に流されたとき持ってきたものといわれている。

鉾持神社(ほこじじんじゃ)
伊那市高遠町西高遠
 高遠城の守護神として歴代領主の厚い信仰を受けた神社。JR高遠駅から少し北に歩くと、急な階段が天に登りつめるかのように続いている。石段の数は321段。何回か場所が変わっているが、現在の地に移った時に土中から鉾が出たので、鉾持神社と名付けられた。

 

鉾持神社 ☎0265-94-3205
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遠照寺(おんしょうじ)
伊那市高遠町山室

創建は平安時代(860年頃)の日蓮宗の寺。ぼたん寺として有名で境内に170種1000株のぼたんが咲き誇る。室町時代に建立された和様折
衷様式の釈迦堂は東日本では珍しく、内部の多宝塔とともに国重要文化財に指定されている。また市指定文化財の七面堂、亀島庭園がある。遠照寺 ☎0265-94-3799
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弘妙寺(ぐみょうじ)
伊那市高遠町荊口
  山室川沿いの日蓮宗の寺。800年もの歴史を持つこの寺は「高く遠く」のゴルフ寺として有名。天然カラマツの本堂柱、三浦輝峰氏ら23人の肖像画家が油絵で描いた96枚の天井花鳥画が珍しい。本堂内陣の須彌壇は諏訪の宮大工・白鳥弥四郎の作で見事な彫刻が目を引く。

 

弘妙寺 ☎0265- 94-4052
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香福寺(こうふくじ)
伊那市高遠町長藤的場
  高遠、最古の創建。745年に行基菩薩が高遠の地を訪れた時、奇岩を見て薬師如来の薬壺がひらめいたので一棟の堂を建て、薬師如来を彫って本尊とし、法相・三論の道場としたのが始まりと伝えられる。現在は真言宗。秋の紅葉がとても鮮やか。
蓮華寺(れんげじ)
伊那市高遠町長藤的場
   日蓮宗の寺。初めは長遠寺といい高遠北原にあったが、鳥居氏により現在の場所に移され、後に蓮華寺と改称された。七面堂は当初、鳥居氏が四代将軍家綱の位牌堂として建立し、改易後に七面明神が祀られた。また、大奥で権勢をふるった絵島の墓がある。
守屋貞治(もりやさだじ)の石仏
   江戸時代、守屋貞治を始めとする高い技術を持った高遠石工は全国に出向き石を刻んだ。建福寺(K-4)には西国三十三所観音や願王地蔵尊を始めとする多数の貞治仏がある。このほか常盤橋のたもとにある大聖不動明王(L-5)や、桂泉院境内の准胝観世音菩薩・延命地蔵大菩薩が有名。
峰山寺(ほうざんじ)
伊那市高遠町東高遠
 高遠藩主鳥居家の菩提寺。鳥居忠春が父忠政の追悼のため堂宇を再興して、峰山寺と改称した。本尊は文覚上人作と伝えられる不動尊で霊験あらたかな秘仏。境内の墓地には藩主・鳥居忠春とその生母の墓や藩学者の阪本天山・中村元恒、政治家・中村弥六らの墓もある。
桂泉院(けいせんいん)
伊那市高遠町東高遠
  眺望絶景の寺。元は高遠城内にあって法幢院といい、織田勢による落城時には法要が営まれたが、後に月蔵山麓に移され改称した。寺の梵鐘は織田信忠が高遠城を攻める際、飯田市の名刹開善寺から略奪し陣鐘として引きずってきたもので長野県宝。境内には仁科五郎盛信の位牌殿がある。
樹林寺(じゅりんじ)
伊那市高遠町東高遠
 高遠藩主保科家、鳥居家、内藤家の祈願寺。慶長6年(1601)保科正光が下総多胡から高遠に転封の際、下総樹林寺の本尊、夕顔観音を写し造らせ、観音堂の土を運んできて城の鬼門に当たるこの地に建立した。境内には名君保科正之公頌徳碑、正之の生母お志津の供養塔がある。
五郎山(ごろうざん)
伊那市高遠町勝間
  ここには高遠城主仁科五郎盛信の祠がある。1582年織田軍に攻められ高遠城が落城した際、壮絶な討ち死をした五郎盛信の屍を、地元の人々が焼け跡から持ち帰ってこの山に埋葬したことから呼ばれるようになった
御堂垣外本陣跡(みどがいとほんじんあと)
伊那市高遠町藤沢御堂垣外
 天文3年(1534) 江戸時代の参勤交代の時、大名行列の一行や幕府の役人などが宿泊した御堂垣外の本陣跡。天和年間(1680頃)にはすでにこの宿が整備されていた。 高遠藩大名の内藤候、飯田の堀候、旗本の和久、近藤、小笠原、座光寺などの諸侯が金沢峠を越えこの街道を往来し、この本陣に宿泊したという宿札が残る。
 博物館・美術館・資料館 
高遠町歴史博物館
伊那市高遠町東高遠
 高遠藩主内藤家に伝わった家宝の兜や高遠城をはじめとする郷土の歴史を語る貴重な資料伊澤修二生家を多数収蔵展示。博物館前の庭には、H21年建立の名君保科正之公、生母お静像顕彰碑がある。絵島囲み屋敷(当時の見取り図を元に復元)も併設されている。
※保科正之:徳川二代将軍秀忠の子で三代将軍家光の異母弟。保科家の家督を継ぎ高遠藩主となった後、出羽山形藩主、会津藩主となり四代将軍家綱の後見人として幕政を支えた名君。
※絵島:大奥の大年寄で絵島事件により高遠へ流罪となった。花畑の囲屋敷で61歳の生涯を閉じ、遺体は蓮華寺に葬られた。
※定休日:月曜日(原則)入館料:400円
長野県伊那市高遠町東高遠 ☎0265-94-4444ホームページ
信州高遠美術館
伊那市高遠町東高遠
美術館収蔵作品は、原田(政雄)コレクション、郷土作家、郷土ゆかりの作家の作品です。
伊那市は、中村不折、池上秀畝、小坂芝田、江崎孝坪などのすぐれた芸術家を輩出しています。これらの作家に加えて中村琢ニ、平山郁夫など伊那市ゆかりの画家の作品もご覧いただけます。常設展のほかに企画展、特別展を年数回開催し、ホールや研修室ではミュージアムコンサートや絵画教室などが実施され、多くの方々が参加されています。
また 中央・南アルプスを望む景色を楽しみながら、喫茶室“パレット”でくつろぐことができます。
このように信州高遠美術館は、山あいの地に700年を越えて引き継がれてきた文化の火を守り、芸術の花咲く地域社会の実現に向けて日々の活動を行っています。 
長野県伊那市高遠町東高遠400
☎0265-94-3666
ホームページ
高遠町民俗資料館
伊那市高遠町東高遠
なつかし館(教振)高遠なつかし館
長野県宝の旧馬島家住宅の入り口にあるのがこの博物館です。【旧馬島家住宅(長野県宝)】-高遠藩の眼科医の家-
江戸時代に高遠藩の眼科医を勤めた馬島家の住宅です。【旧池上家】-醤油や酢の販売に当たった豪壮な商家-
池上家は文禄年間(1592~96)に瀬戸物や小間物を商い、その後、酢や醤油の醸造販売も行いながら、代々町問屋、町名主を勤めました。豪壮でいかにも歴史の重さを感じる建物です。 

 

 長野県伊那市高遠町東高遠2074
☎0265-94-4044 (なつかし館)
ホームページ
公開日2016/02/17・更新日2016/02/23
伊那市観光協会

歴史・文化(伊那エリア)

伊那エリア

 伝統芸能・祭り 
羽広の獅子舞
 会場:仲仙寺 伊那市西箕輪
羽広の獅子舞は、約四百年の歴史を持ち、1月15日に近い日曜日には朝早く羽広山仲仙寺にて雄獅子、雌獅子の二頭で 「舞い合わせ」をします。その後観音堂に向かって左を雄獅子、右を雌獅子に分かれて1日がかりで村中を戸毎に舞い、家内安全・五穀豊穣を祈ります。舞いは 総称して「阿吽の舞い」と言い、「肇国の舞」「剣の舞」「豊穣の舞」「清めの舞又は子宝の舞」「悪魔払いの舞」の五つで構成されています。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

やきもち踊り
 会場:白山神社 伊那市山寺上村
 毎年、4月15日にいちばん近い日曜日に行われている山寺区上村の八幡社白山社合殿の例祭が「やきもち踊り」です。江戸時代の中頃、お伊勢参りに行った 人たちが習って来て、お宮の例祭に踊ったのが始まりです。「やきもち踊り」とは、唄いの1番「焼餅がはらんで…」の歌詞から来たものでしょう。羽織り袴の 男達がのんびり酒盛りをしたり、煙草を呑んだりし、足高に踊るユーモラスさと、踊りが終わった途端、我先に逃げ出すユニークなクライマックスで有名なお祭 りです。逃げ遅れると疫病にかかるとの言い伝えがあり、氏子の表情は真剣そのもの、それがまた笑いを誘います。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

さんよりこより
 会場:美篶天伯社(伊那市美篶川手地区) 桜井天伯社(伊那市富県桜井)
 美篶の上川手・下川手の天伯様、富県桜井の天伯様の七夕祭りで、毎年8月7日に行われています。2つの天伯社は応永34四年(1427) 藤沢片倉(現高遠町)におられた天伯様が洪水で桜井に流れ着きましたが、再び流され、川手へ落ち着きました。これを縁として桜井と川手でお祀りしたのが始 まりとされています。「さんよりこより」とは、洪水を起こす厄病神を叩き潰す神事の掛け声からきています。社の広場で、笠をつけた大人二人が太鼓を叩く と、その周りを七夕飾りをつけた竹を構えた子供たちが「さんよりこより」と言いながらまわり、三周したところで滅多打ちにします。それを3回繰返した後、 御輿を担ぎ、天の川に見立てた三峰川を徒歩で渡って、桜井へ向かい、同じお祭りをします。その日は絶対に三峰川は荒れないと言い伝えられています。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

伊那節
 古くは「おんたけやま」と呼ばれた馬子唄で、権兵衛峠を行き来していた馬子たちによって伊那の各地に広まり、大正15年頃から「伊那節」と呼ばれ長野県を代表する民謡となった。「与地の伊那節」「福地の伊那節」などは元唄に近いものとして伝わっている。伊那公園に「伊那節の碑」がある。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

御柱
 諏訪形:諏訪形神社(伊那市西春近諏訪形地区)
福地:諏訪神社(伊那市富県南福地)
 伊那市内にはいくつかの諏訪神社があり古来よりの神事御柱が伝わっている。「諏訪形の御柱」「福地の御柱」など。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

史跡・名所
伊那部宿旧井澤家住宅
伊那市西町
  伊那街道の中間点にあった伊那部宿。井澤家はこの宿場の中で、代々造り酒屋を営んでいた。
問:伊那部宿旧井澤家住宅 0265-74-8102 定休日:毎週火曜日
入館料:一般200円 小中学生100円 ※団体割引(20人以上)あり
坂下の辻
 伊那街道、はびろみちなどの交差する重要な辻。
漂白の俳人 井月の墓
 市内には各所に句碑が立っている。
御殿場遺跡(ごてんばいせき)
伊那市富県
 ここは縄文中期に使用された竪穴式住居が復元されています。この遺跡からは国の重要文化財「顔面付釣手形土器」が出土しており伊那市考古資料館に展示されています。また、ここは中央アルプスの眺めも格別です。
清水庵(きよみずあん)
伊那市手良
清水庵 およそ1200年前、京都清水寺、播磨国(兵庫県)清水寺の御本尊と同一の木を彫刻したと伝えられる観音様が、突如飛来した。この観音様をご本尊として祀ったのが清水庵の始まり。天正10年(1582)織田軍の武田攻め(高遠攻め)の際、炊き出しを強要され、これを拒否した清水庵はことごとく焼かれてしまったが、燃え上がる戦火の中ご本尊だけが再び飛脱し難をのがれたという。この『空飛ぶ観音様』は秘仏として祀られ60年に一度の御開帳のみに姿を現す。ここには隠れキリシタンが祈りを捧げた十字架が刻まれたお地蔵様、井月の句碑もある。
蟻塚城(ありつかじょう)
伊那市美篶
蟻塚城碑 美篶笠原集落の東北の小高い丘陵地にある中世の城。平安末期、この笠原の地は朝廷直轄の牧場「御牧」だったため、有力豪族の笠原氏が築城したと考えられている。笠原氏は諏訪神社神官一族の出と言われており、現在残る城跡は室町初期(14世紀)に成立し、戦国期(16世紀)に廃城となったらしい。本丸跡の斜面には高さ約5mの土塁が残る。
百庚申・穴観音(ひゃくこうしん・あなかんのん)
伊那市手良
穴観音と百庚申 江戸時代末期1847年から1860年までの13年間に当時の野口村を中心に百余人の寄進にによって造立。庚申の主尊は青面金剛で最前列中央に建ち、猿田彦命、半球形庚申供養など合計百体以上が整然と並んでいる。その中には、小さな盛り土の塚があり「穴観音」と呼ばれ、4体の石仏が安置されている。
四国八十八カ所霊場(しこくはちじゅうはちかしょれいじょう)
伊那市手良
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幕末1844~1847年間に野口村などの寄進によって造立された石仏群。八十八カ所霊場としているのになぜか石仏は89体ある。地面に直接立てる野仏方式であり舟型碑に観音様や薬師様等が浮き彫りされている。馬の神様の観音様もあり、当時は手良地区を中心とした農家の信仰を集めていた

一夜の城(いちやのじょう)
伊那市富県
一夜の城土塁跡 天正10年(1583)3月、城将仁科五郎盛信以下、伊那の地侍などが立てこもる高遠城に織田の武田攻めの軍勢がせまり、織田軍は一夜にしてここに約50メートル四方の土塁を盛り陣城を築いた。現在は北東角の厚みのある土塁の一部が当時の様子を伝えている。
殿島城址公園(とのしまじょうしこうえん)
伊那市東春近
殿島城公園正面 春日城主伊那部但馬守重成の次男新左衛門重国が分家して「殿島大和守重国」を名乗りここに居城した。重国は武田信玄に謀反人
として殺された8人の豪族のひとりで、長谷の八人塚に葬られている(M-7)。現在は公園となっていて郷土を守った重国の碑が建っている。
金鳳寺(きんぽうじ)
伊那市富県
金鳳寺全景  文明2年(1470)駿河の国(現静岡県天竜市)玖延寺の天宗元康大和尚によって開山され、以来500年現在に至るまでに3度の火災に遭っては再建されてきた。本堂への石段の最上段右にある「於三の坐禅石」は夫を亡くして悲嘆に暮れていた上原於三が7日7夜その上に座って悟りを開いたといわれる石。
伝兵衛井筋(でんべえいすじ)
伝兵衛井筋 この井筋の歴史は古く起源は明暦元年(1655))水利に乏しい原新田村が三峰川の水を引き入れて開田しようとし、佐久から柳沢弥左衛門を招き万治元年(1658)に完成させたが、難所鞠ケ鼻(現高遠町下山田)の崩壊で長く放置された。天保3年(1832)杉島村(現長谷杉島)の伊東伝兵衛は、原新田村と協議、高遠藩の許可を得て自費で改修に着手し、その後貝沼・桜井・榛原・南福地・北福地へも分水し改修が進んだ。正式名は「春富大井筋」だがいつのころからか「伝兵衛井筋」と呼ばれている。
仲仙寺(ちゅうせんじ)
伊那市西箕輪
仲仙寺 弘仁7年(816)今から1100年以上の昔、慈覚大師は夢のお告げで信濃に下り霊木を得て十一面観音を刻み、観音様を刻んだ木片に写経し、経塚を作り納めた。その山を「経ケ岳」と言い、その麓に観音様をご本尊として開山したのが仲仙寺の始まりと言われている。開山当初は別の場所にあり、寺名も藤宝寺といった。慶長18年現在の地に移り羽広山仲仙寺と改称。「馬の観音様」として広く信仰を集めた。坂下の辻から始まる「はびろみち」はここが終点。

仲仙寺 ☎0265-94-3205
ホームページ (仲仙寺HP)
ホームページ (伊那市観光協会HP)

常輪寺(じょうりんじ)
伊那市西春近小出1区
常輪寺全景 鎌倉時代、歌舞伎の題材にもなった「曽我兄弟の仇討」。兄弟の討った父の敵、工藤祐経の子犬房丸がすでに捕えられている曽我五郎(弟)に無礼をはたらいたと源頼朝により伊那の地に流刑となった。犬房丸は流されたこの伊那の地で水路を引いて原野の開拓や農業の振興に努め、古寺を再建し、厚く信仰した。この寺が現在の常輪寺の基と伝えられている。寺には犬房丸の墓、使用したという膳、椀、皿などがある。
史蹟 天竜川舟着場(しせきてんりゅうがわふなつきば)
伊那市坂下入舟
天竜川舟着場 権兵衛街道と杖突街道(現国道361号)が伊那街道(現153号)と交差する坂下は、かって船着場として栄え「入舟」の地名が往時を忍ばせている。天竜川の通船は現辰野町平出から静岡県掛川市まで文政13年(1830)から約80年間続き、江戸や大坂に向けて木材・干し柿・林産物などが搬出され、東海地方からは塩・綿・干し魚などが入ってる重要なルートであった。碑の横には河の神として船頭たちの信仰を集めた弁財天の祠もある。
伯先桜(はくせんざくら)と見通し桜(みとおしざくら)
伯先桜:伊那市西町 見通し桜:伊那市狐島
伯先桜 伯仙桜望む見通し桜伯先桜は、天明、化政の頃、儒医で知られた中村伯先(1756~1820)が自宅の庭先に植樹した枝垂桜で樹齢200年余、伊那市の天然記念木に指定されている。(左)また、天竜川対岸の狐島区にある「見通し桜」は、洪水のためたびたび大きく川筋を変化させ、大きな被害を出した天竜川の測量起点として伯先桜との「見通し」を行った桜で、現在の桜は2代目。(右)
春日城跡(かすがじょうせき)
伊那市西町
春日城址 天文3年(1534)平家の末流粟田口民部重吉の16代目伊那部大和守重慶により築城、重慶の元の姓は春日であったことから「春日城」と呼ばれた。天文10年、織田信忠の武田討伐軍により廃城。城主は高遠城に入り討ち死したと伝えられる。現在は、桜の名所春日公園として親しまれている。
蓮台場(れんだいば)
伊那市狐島
蓮台場 御仕置場とも呼ばれた場所で、武田信玄の侵略に対し最後まで抵抗した伊那の8人の武将が武田軍に捕えられ、この場所で磔の後、首をさらされた。長谷黒河内の人々は闇夜に紛れて8人の首を持ち帰り、長谷艮城の東に葬り冥福を祈った。八人塚碑(M-7)が建てられている。また江戸中期、民に慕われた北山和尚の墓でもある。
艶三郎の井(つやさぶろうのい)
伊那市荒井
艶三郎の井 明治の中ごろ、天竜川西の高台では水利権を巡る争いが絶えなかった。用水の必要性を痛感した西伊那部村荒井の御子柴艶三郎は、私財を投げ打ち井戸の開削に奔走し、明治28年ついに水脈を発見、一帯の約40ヘクタールが水田となった。その後艶三郎は「俺の命は約束通り水神に差し上げる。俺は水神になる」と遺言し明治32年冬自刃。「井」は現在もこんこんと湧きだし近くに御子柴水神の頌徳碑が建っている
 博物館・美術館・資料館 
伊那市創造館
伊那市荒井3520
 旧上伊那図書館を改修し、学習と交流の拠点として生まれ変わった。伊那市内で出土した国重要文化財指定「顔面付釣手形土器」など縄文時代からの貴重な資料が数多く展示されている。上伊那地方最古の洋館である。

長野県伊那市荒井3520
☎0265-72-6220

伊那市考古資料館
伊那市西箕輪
市内遺跡の出土品が収蔵、展示されています。また、馬の守護神として信仰を集めた仲仙寺に奉納された絵馬も展示されています。中でも木曽福島の千村勘兵衛が 奉納した絵馬には次のような言われがあります。万延元年(1860) 多くの馬を引き連れて伊那谷に馬売りに来た勘兵衛は、まったく馬が売れずに困っていました。飼い葉代だけでもばかにならない出費です。そんなとき、ある老婆に「羽広の観音様にお参りすればいい」と言われ、勘兵衛は藁にもすがる思いで羽広観音にお参りしたのです。すると馬たちにはたちまち買手がつき、馬売りは大成功に終わりました。勘兵衛はこれに感謝し文久2年( 1862) 絵馬を奉納したと言われています。

 

 ※見学につきましては、事前予約制となっております。見学を希望する日の3日前までに、
伊那市教育委員会 生涯学習課 文化財係[TEL:0265-78-4111㈹]まで、お電話でお申し込み下さい。

 

公開日2016/02/17・更新日2017/09/13
伊那市観光協会

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