歴史・文化, 歴史・文化01.寺社など

歴史・文化(伊那エリア)

伊那エリア

 伝統芸能・祭り 
羽広の獅子舞
 会場:仲仙寺 伊那市西箕輪
羽広の獅子舞は、約四百年の歴史を持ち、1月15日に近い日曜日には朝早く羽広山仲仙寺にて雄獅子、雌獅子の二頭で 「舞い合わせ」をします。その後観音堂に向かって左を雄獅子、右を雌獅子に分かれて1日がかりで村中を戸毎に舞い、家内安全・五穀豊穣を祈ります。舞いは 総称して「阿吽の舞い」と言い、「肇国の舞」「剣の舞」「豊穣の舞」「清めの舞又は子宝の舞」「悪魔払いの舞」の五つで構成されています。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

やきもち踊り
 会場:白山神社 伊那市山寺上村
 毎年、4月15日にいちばん近い日曜日に行われている山寺区上村の八幡社白山社合殿の例祭が「やきもち踊り」です。江戸時代の中頃、お伊勢参りに行った 人たちが習って来て、お宮の例祭に踊ったのが始まりです。「やきもち踊り」とは、唄いの1番「焼餅がはらんで…」の歌詞から来たものでしょう。羽織り袴の 男達がのんびり酒盛りをしたり、煙草を呑んだりし、足高に踊るユーモラスさと、踊りが終わった途端、我先に逃げ出すユニークなクライマックスで有名なお祭 りです。逃げ遅れると疫病にかかるとの言い伝えがあり、氏子の表情は真剣そのもの、それがまた笑いを誘います。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

さんよりこより
 会場:美篶天伯社(伊那市美篶川手地区) 桜井天伯社(伊那市富県桜井)
 美篶の上川手・下川手の天伯様、富県桜井の天伯様の七夕祭りで、毎年8月7日に行われています。2つの天伯社は応永34四年(1427) 藤沢片倉(現高遠町)におられた天伯様が洪水で桜井に流れ着きましたが、再び流され、川手へ落ち着きました。これを縁として桜井と川手でお祀りしたのが始 まりとされています。「さんよりこより」とは、洪水を起こす厄病神を叩き潰す神事の掛け声からきています。社の広場で、笠をつけた大人二人が太鼓を叩く と、その周りを七夕飾りをつけた竹を構えた子供たちが「さんよりこより」と言いながらまわり、三周したところで滅多打ちにします。それを3回繰返した後、 御輿を担ぎ、天の川に見立てた三峰川を徒歩で渡って、桜井へ向かい、同じお祭りをします。その日は絶対に三峰川は荒れないと言い伝えられています。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

伊那節
 古くは「おんたけやま」と呼ばれた馬子唄で、権兵衛峠を行き来していた馬子たちによって伊那の各地に広まり、大正15年頃から「伊那節」と呼ばれ長野県を代表する民謡となった。「与地の伊那節」「福地の伊那節」などは元唄に近いものとして伝わっている。伊那公園に「伊那節の碑」がある。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

御柱
 諏訪形:諏訪形神社(伊那市西春近諏訪形地区)
福地:諏訪神社(伊那市富県南福地)
 伊那市内にはいくつかの諏訪神社があり古来よりの神事御柱が伝わっている。「諏訪形の御柱」「福地の御柱」など。

問:伊那市観光協会 ☎0265-78-4111㈹

史跡・名所
伊那部宿旧井澤家住宅
伊那市西町
  伊那街道の中間点にあった伊那部宿。井澤家はこの宿場の中で、代々造り酒屋を営んでいた。
問:伊那部宿旧井澤家住宅 0265-74-8102 定休日:毎週火曜日
入館料:一般200円 小中学生100円 ※団体割引(20人以上)あり
坂下の辻
 伊那街道、はびろみちなどの交差する重要な辻。
漂白の俳人 井月の墓
 市内には各所に句碑が立っている。
御殿場遺跡(ごてんばいせき)
伊那市富県
 ここは縄文中期に使用された竪穴式住居が復元されています。この遺跡からは国の重要文化財「顔面付釣手形土器」が出土しており伊那市考古資料館に展示されています。また、ここは中央アルプスの眺めも格別です。
清水庵(きよみずあん)
伊那市手良
清水庵 およそ1200年前、京都清水寺、播磨国(兵庫県)清水寺の御本尊と同一の木を彫刻したと伝えられる観音様が、突如飛来した。この観音様をご本尊として祀ったのが清水庵の始まり。天正10年(1582)織田軍の武田攻め(高遠攻め)の際、炊き出しを強要され、これを拒否した清水庵はことごとく焼かれてしまったが、燃え上がる戦火の中ご本尊だけが再び飛脱し難をのがれたという。この『空飛ぶ観音様』は秘仏として祀られ60年に一度の御開帳のみに姿を現す。ここには隠れキリシタンが祈りを捧げた十字架が刻まれたお地蔵様、井月の句碑もある。
蟻塚城(ありつかじょう)
伊那市美篶
蟻塚城碑 美篶笠原集落の東北の小高い丘陵地にある中世の城。平安末期、この笠原の地は朝廷直轄の牧場「御牧」だったため、有力豪族の笠原氏が築城したと考えられている。笠原氏は諏訪神社神官一族の出と言われており、現在残る城跡は室町初期(14世紀)に成立し、戦国期(16世紀)に廃城となったらしい。本丸跡の斜面には高さ約5mの土塁が残る。
百庚申・穴観音(ひゃくこうしん・あなかんのん)
伊那市手良
穴観音と百庚申 江戸時代末期1847年から1860年までの13年間に当時の野口村を中心に百余人の寄進にによって造立。庚申の主尊は青面金剛で最前列中央に建ち、猿田彦命、半球形庚申供養など合計百体以上が整然と並んでいる。その中には、小さな盛り土の塚があり「穴観音」と呼ばれ、4体の石仏が安置されている。
四国八十八カ所霊場(しこくはちじゅうはちかしょれいじょう)
伊那市手良
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幕末1844~1847年間に野口村などの寄進によって造立された石仏群。八十八カ所霊場としているのになぜか石仏は89体ある。地面に直接立てる野仏方式であり舟型碑に観音様や薬師様等が浮き彫りされている。馬の神様の観音様もあり、当時は手良地区を中心とした農家の信仰を集めていた

一夜の城(いちやのじょう)
伊那市富県
一夜の城土塁跡 天正10年(1583)3月、城将仁科五郎盛信以下、伊那の地侍などが立てこもる高遠城に織田の武田攻めの軍勢がせまり、織田軍は一夜にしてここに約50メートル四方の土塁を盛り陣城を築いた。現在は北東角の厚みのある土塁の一部が当時の様子を伝えている。
殿島城址公園(とのしまじょうしこうえん)
伊那市東春近
殿島城公園正面 春日城主伊那部但馬守重成の次男新左衛門重国が分家して「殿島大和守重国」を名乗りここに居城した。重国は武田信玄に謀反人
として殺された8人の豪族のひとりで、長谷の八人塚に葬られている(M-7)。現在は公園となっていて郷土を守った重国の碑が建っている。
金鳳寺(きんぽうじ)
伊那市富県
金鳳寺全景  文明2年(1470)駿河の国(現静岡県天竜市)玖延寺の天宗元康大和尚によって開山され、以来500年現在に至るまでに3度の火災に遭っては再建されてきた。本堂への石段の最上段右にある「於三の坐禅石」は夫を亡くして悲嘆に暮れていた上原於三が7日7夜その上に座って悟りを開いたといわれる石。
伝兵衛井筋(でんべえいすじ)
伝兵衛井筋 この井筋の歴史は古く起源は明暦元年(1655))水利に乏しい原新田村が三峰川の水を引き入れて開田しようとし、佐久から柳沢弥左衛門を招き万治元年(1658)に完成させたが、難所鞠ケ鼻(現高遠町下山田)の崩壊で長く放置された。天保3年(1832)杉島村(現長谷杉島)の伊東伝兵衛は、原新田村と協議、高遠藩の許可を得て自費で改修に着手し、その後貝沼・桜井・榛原・南福地・北福地へも分水し改修が進んだ。正式名は「春富大井筋」だがいつのころからか「伝兵衛井筋」と呼ばれている。
仲仙寺(ちゅうせんじ)
伊那市西箕輪
仲仙寺 弘仁7年(816)今から1100年以上の昔、慈覚大師は夢のお告げで信濃に下り霊木を得て十一面観音を刻み、観音様を刻んだ木片に写経し、経塚を作り納めた。その山を「経ケ岳」と言い、その麓に観音様をご本尊として開山したのが仲仙寺の始まりと言われている。開山当初は別の場所にあり、寺名も藤宝寺といった。慶長18年現在の地に移り羽広山仲仙寺と改称。「馬の観音様」として広く信仰を集めた。坂下の辻から始まる「はびろみち」はここが終点。

仲仙寺 ☎0265-94-3205
ホームページ (仲仙寺HP)
ホームページ (伊那市観光協会HP)

常輪寺(じょうりんじ)
伊那市西春近小出1区
常輪寺全景 鎌倉時代、歌舞伎の題材にもなった「曽我兄弟の仇討」。兄弟の討った父の敵、工藤祐経の子犬房丸がすでに捕えられている曽我五郎(弟)に無礼をはたらいたと源頼朝により伊那の地に流刑となった。犬房丸は流されたこの伊那の地で水路を引いて原野の開拓や農業の振興に努め、古寺を再建し、厚く信仰した。この寺が現在の常輪寺の基と伝えられている。寺には犬房丸の墓、使用したという膳、椀、皿などがある。
史蹟 天竜川舟着場(しせきてんりゅうがわふなつきば)
伊那市坂下入舟
天竜川舟着場 権兵衛街道と杖突街道(現国道361号)が伊那街道(現153号)と交差する坂下は、かって船着場として栄え「入舟」の地名が往時を忍ばせている。天竜川の通船は現辰野町平出から静岡県掛川市まで文政13年(1830)から約80年間続き、江戸や大坂に向けて木材・干し柿・林産物などが搬出され、東海地方からは塩・綿・干し魚などが入ってる重要なルートであった。碑の横には河の神として船頭たちの信仰を集めた弁財天の祠もある。
伯先桜(はくせんざくら)と見通し桜(みとおしざくら)
伯先桜:伊那市西町 見通し桜:伊那市狐島
伯先桜 伯仙桜望む見通し桜伯先桜は、天明、化政の頃、儒医で知られた中村伯先(1756~1820)が自宅の庭先に植樹した枝垂桜で樹齢200年余、伊那市の天然記念木に指定されている。(左)また、天竜川対岸の狐島区にある「見通し桜」は、洪水のためたびたび大きく川筋を変化させ、大きな被害を出した天竜川の測量起点として伯先桜との「見通し」を行った桜で、現在の桜は2代目。(右)
春日城跡(かすがじょうせき)
伊那市西町
春日城址 天文3年(1534)平家の末流粟田口民部重吉の16代目伊那部大和守重慶により築城、重慶の元の姓は春日であったことから「春日城」と呼ばれた。天文10年、織田信忠の武田討伐軍により廃城。城主は高遠城に入り討ち死したと伝えられる。現在は、桜の名所春日公園として親しまれている。
蓮台場(れんだいば)
伊那市狐島
蓮台場 御仕置場とも呼ばれた場所で、武田信玄の侵略に対し最後まで抵抗した伊那の8人の武将が武田軍に捕えられ、この場所で磔の後、首をさらされた。長谷黒河内の人々は闇夜に紛れて8人の首を持ち帰り、長谷艮城の東に葬り冥福を祈った。八人塚碑(M-7)が建てられている。また江戸中期、民に慕われた北山和尚の墓でもある。
艶三郎の井(つやさぶろうのい)
伊那市荒井
艶三郎の井 明治の中ごろ、天竜川西の高台では水利権を巡る争いが絶えなかった。用水の必要性を痛感した西伊那部村荒井の御子柴艶三郎は、私財を投げ打ち井戸の開削に奔走し、明治28年ついに水脈を発見、一帯の約40ヘクタールが水田となった。その後艶三郎は「俺の命は約束通り水神に差し上げる。俺は水神になる」と遺言し明治32年冬自刃。「井」は現在もこんこんと湧きだし近くに御子柴水神の頌徳碑が建っている
 博物館・美術館・資料館 
伊那市創造館
伊那市荒井3520
 旧上伊那図書館を改修し、学習と交流の拠点として生まれ変わった。伊那市内で出土した国重要文化財指定「顔面付釣手形土器」など縄文時代からの貴重な資料が数多く展示されている。上伊那地方最古の洋館である。

長野県伊那市荒井3520
☎0265-72-6220

伊那市考古資料館
伊那市西箕輪
市内遺跡の出土品が収蔵、展示されています。また、馬の守護神として信仰を集めた仲仙寺に奉納された絵馬も展示されています。中でも木曽福島の千村勘兵衛が 奉納した絵馬には次のような言われがあります。万延元年(1860) 多くの馬を引き連れて伊那谷に馬売りに来た勘兵衛は、まったく馬が売れずに困っていました。飼い葉代だけでもばかにならない出費です。そんなとき、ある老婆に「羽広の観音様にお参りすればいい」と言われ、勘兵衛は藁にもすがる思いで羽広観音にお参りしたのです。すると馬たちにはたちまち買手がつき、馬売りは大成功に終わりました。勘兵衛はこれに感謝し文久2年( 1862) 絵馬を奉納したと言われています。

 

 ※見学につきましては、事前予約制となっております。見学を希望する日の3日前までに、
伊那市教育委員会 生涯学習課 文化財係[TEL:0265-78-4111㈹]まで、お電話でお申し込み下さい。

 

公開日2016/02/17・更新日2017/09/13
伊那市観光協会

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